まだ見ぬ君に 61.12.08

気付きのカケラ、と健忘録

愛おしい雨

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長かった梅雨も関東では終わりが見えてきました。これだけ長いと梅雨もいいねとは言えません。自然災害では無い気候変動による災害以外にも農作物への影響などが多方面に出ています。しかし自然災害と気候変動災害は、そろそろ分けた報道をして欲しいと願っています。

降れば降ったで、日照りでもそうですが天気に対する文句のような言い方は嫌です。最近は人の活動が原因と思われる気候による災害が増えているだけに、一括りに自然と言うのはしっくりきません。見知らぬ不幸に忸怩たる思いを強く持つのは失くしたく無いけれどね。と愚痴はここまで。

 私は程良い雨に濡れるのが大好きで、よく傘をささずに歩いていました。髪を伸ばしていると季節によっては心底冷えたけど、濡れて奪われる熱量以上の発熱があれば、風邪を引く事もないし。でも予想外に雨が強くなり、風邪で寝込むドジも幾度かあった。思いだせないほど失敗しては母に心配をかけました。それでも全身に水滴をあんなに長く浴び続けられる遊びなんて、他には沢登りくらい。傘をさすなんて勿体無い。忘れずに持つようになったのは社会人になり自分の体以外に守るものができた時から。余計な荷物を抱え込み出した頃からです。

 傘が嫌いではありません。楽しいですよね。特に和傘。最初興味を持ったのは傘のお化けの姿でした。これは何か違うぞと。大分時が経ってからですが、気に入った和傘を探して2日旅して買いました。旅先で雨音が楽しくて。一時期は旅にも持ち歩いたことがあります。ただ大きくてすんごく邪魔。そして何しているの?という好奇の目が少しだけ痛かった。

 山間部、特に遠くに続く田圃を眺めながら大きな和傘を差し、一人佇むのは安らげます。うまくいけば雨が上がりに出会える。遠くの山の空が明るくなり、気づくと雨音が軽くなっていく。傘に当たる音も振動も減るのと合わせるように虫の声が聞こえ出し、肌の湿り気も変化する。これがなんとも気持ちいいんですよ。まるで自分が草になったようで。

 ナイロンと綿の傘では音が違い、ナイロンの厚みでも音が変わります。好きなのは厚手の綿の音。車もそれぞれ違いますが今は車内を静かにすることだけが大切みたい。オープンの幌は傘に似た音がします。そして締め切っているので傘よりうるさい。でも心地良くもある。高級車の幌は多重構造なので静かですね。うちのはうるさい。

 以前はよく雨に会いに旅に出ました。雨上がりの雲の動きを見たくて山を駆け上り車は泥だらけ。外に出ては足元も汚れるけど、体の淀みはきれいに洗い流されていく。たまに天候が悪くなり土砂降りのまま泣きながら帰った日も。雨に会いに山に行き、砂浜に腰掛けて雨の中で海を見る。霞む湖岸に椅子を置いて傘をさして雨音を聞く。好きな音楽を聴きながらの時も多いけど僕にとては天気は大切なエンターテインメントです。

ハイキューとアオアシ

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ジャンプとスピリッツに連載の漫画。ハイキューは先日終わったけれど大団円のエンディングがいかにもハイキューらしくて嬉しかった。旭と西谷が二人で弾丸世界ツア一に行っているとかね。高校を卒業したみんながそれぞれ自分の人生を生きている。高校バレーが舞台で真っ直ぐ走り抜けた作品。

 アオアシはユースを始めて題材にしたサッカー漫画。ハイキューと同じ高校生だが私にとっての二作品の違いは女性。これはカモメのジョナサンと星の王子さまを思い出したほど二作品では女性の関わりが違う。ハイキューも女性いるが、役割は限定的で主人公と強い精神的な絆や関わりは薄い。同性の先輩と同世代を中心に各々が成長していく。それに対してアオアシは母親と、付き合っていると呼べるかは曖昧だけど彼女である花の存在が重要な場面で鍵になる。恋愛とは呼べないが強い想いがストーリーに影響していく。私は本格サッカー漫画の観点より、思春期の人間関係を軸に読んでいるので20巻は一区切りついたなぁと結構感慨深かかった。

 何かに熱中する時がある。それが高校なのかは別にして、狂気とも言えるほど夢中になる人もいる。狂気の熱量も時間も放出するエネルギーもそれぞれだけれど、周りが見えずに自分の力で何かを成そうという思いは多くの人に訪れる。危険でもあるけれど、自分と周囲の友人や大人、社会や組織を知り関わる大切な鍵にもなる。そして挫折も達成も破壊も喜びも悲しみもごちゃ混ぜになって人と関わっていく。仲間か真の友人がいて欲しい時期。親が手を差し伸べるにはもう遅く見守るしかできない季節。二つの作品にもいい友がいる。

しかし現実にはそううまくいかない事の方が多いと思う。漫画や小説の世界に入り、憧れるのもいい。でもそれが全てではないと当たり前のことを改めて思うのも大切だ。理想的に進む構成された話のように人生は進まないのだから。

 話を戻そう。
ハイキュー良さの中には、主人公たちに過度な不安や危うさを強く感じさせないことも含まれる。精神的な事も含めて大怪我はないし、あって欲しくなかった。漫画シャカリキには必要だった大事故もハイキューには不要だ。一方、アオアシには怪我や挫折が付き纏う。それが作品の厳しい空気感を生んでいる。いずれも自らが超えられる信じ、信じているからこそ絶対に手に入れようともがく。部活とユースという環境の違いがそれぞれの世界観の違いを生み出しているのも楽しめる理由なのかもしれない。

 作品から離れるが、スポーツに限らず欧米のような地域クラブという概念も選択肢としてあったなら、高校生はもっと自由なのかもしれないと無い物ねだりで思えてしまう。スポーツ以外の活動になると更に選択肢は少なくなる。部活しかないなら、他校にある自分のやりたい部活に入り活動できれば広がりができる。そこで熱い時を過ごせるかもしれないと考えてしまう。

宛先に尋ね当たらず

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先日書いた通り、手紙を出したわけですが…

試しの二通とも残念ながら「宛先に尋ねあたりません」の赤スタンプが押されて戻ってきました。郵便局さん、二度手間を掛けさせてしまい申し訳ありません。でも届かないとはっきりわかるこの仕組みは有難たかった。宛名違いで届かないなら勝手に処分しますとなったら不安だろうなぁ。ならないだろうけれど、別料金ですと今の時代なら言われてもおかしく無いと思ってしまった。

 ちなみに下の表は郵便局にあった国際郵便のトラブル時の表記一覧。旅行中や受取人死亡というのは書留でも日本では聞かない気がするがどうだろう。案外知らない郵便の仕組みだった。https://www.post.japanpost.jp/int/question/22.html

 さて、本題。
次の手立てが浮かばず、どうしたものかとひとまず行き止まり。以前Facebookで3人ほどから連絡が来たけれど最近はないので当てにはならない。どうしたものか。気分はどこかで仕事モードになっている。見つからないなら探してみようじゃないかと。
ちなみにエゴサーチの如く調べると一人は国会図書館に論文があったが連絡先に辿り着くはずも無く。でも論文、読ませて戴きました。勉強していたなぁ…今も頑張っているのだろう。

英語

フランス語

意味

RETURN

RETOUR

返還

UNKNOWN

INCONNU

受取人宛所に尋ね当たらない

MOVED

DÉMÉNAGÉ

転居先不明

IN TRAVEL

EN VOYAGE

旅行中

REFUSED

REFUSÉ

受取拒絶

DECEASED

DÉCÉDÉ

受取人死亡

UNCLAIMED

NON RÉCLAMÉ

保管期間経過

 

コミュニケーションを考える時に少しだけ意識してみる

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コミュニケーション云々という話は個人や組織でよく話題になります。ただ各々の定義が異なるケースも多くて混乱するというか話が整理し辛い様子も。
例えば話し出す前にコミュニケーション自体と、手段、技術、ツールの4つに分けて整理するのはどうでしょう。

 動物、虫なども含めて植物も様々なコミュニケーションを行います。目的は求愛や威嚇など様々ですが手段は五感の中のいくつかの器官を使って行います。見た目や動き声は手段であり、複雑なツールを使うのは人間の専売特許でしょう。

 人間はツールを大きく発展、進化させました。視覚に関わる手紙や聴覚の電話などのツールは距離や時間の制約を減少させ、今はテキストや画像の他にも他器官による手段を用いたコミュニケーションツールも出ていますね。また、アバターを含めた自分が自分らしく表現できる場を含めたツールは豊富ですし、ある意味リアル以上に拡張されています。これらのツールの多くは当たり前に存在して次第に生活に溶け込んできました。これらはとても重要ですがツールでコミュニケーションの本質ではありません。

 コミュニケーション手段について少し補足すると大半は話すか書くいずれかです。優劣は無く、何らかの制約や得て不得手により一方を中心に利用するケースが多くなります。手段としての書くと話す両方優れる人は稀です。ですから多くは自分の得意な方を使いたがり、余り相手の聞くと読むを意識しません。話すのが得意な人が、聞くより読む方が得意という人に伝えると上手くいかない場合があります。苦手を使うのはまず面倒臭く上手く行くイメージが湧きにくいというのもあります。いずれにしてもコミュニケーション全般と捉えるよりも手段の問題と捉えると論点がはっきりします。だから評価も原則的には両方見る機会を作りますね。いずれが得意かは、例えば愛の告白をする時に自分の思いを何よりも伝え易いのは話すか書くかいずれか。そう尋ねれば得意な一方を選ぶでしょう。ちなみに読むと聞く二つでどちらが得意かというのは同じ会社での仕事など、一定条件が揃わないと複雑で一概には言えません。

 仕事なら適切なツールと環境さえ整えば対面でなければダメだという業務はすぐには浮びません、あるのは業種でしょうか。解像度や遅延に音質などの環境も含まれますが、5G目前の今なら解決はコストと時間の方が問題に浮上します。
仮にツールが原因で情報収集が限定的になったとしても、多くの場合は得られない不安からより丁寧に情報を集めて補おうとします。従来の固定電話で雑音無く息遣いを感じていれば、電話でも感情面やストレスなどを含めた情報を得られるのと類似しますね。逆に対面で情報量が多すぎると、コミュニケーション技術の未熟さなどから処理できない情報に飲まれてしまう可能性もあります。

 ここまでコミュニケーションそのものについての話しはしていません。理由は余りにもコミュニケーションの定義が人、組織、社会の様々な集団で異なるためです。コミュニケーションとはと尋ねるとツールや手段の話をする人も多数いますし、技術的な問題の改善を上げる人もいます。ツールや手段、技術を使うコミュニケーションとはそもそもどう定義するかとなると曖昧模糊になる事が多いのです。

そんな訳で、コミュニケーションそのものと、手段、技術、ツールは分けて考えると互いの論点がはっきりし易いという話でした。お役に立てば。

ナンバリングとスタンプ

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あまり話題に上がらない道具の一つが昔はよく使われていたという説明になりがちなナンバリングかもしれない。我が家での仕事は主に二つ。一つはレポートなどが大量に送られてきた時。いまだに手書きも含めて紙が多く1000枚近いこともあるので必須になっている。PDFはiPad Pro13にペンで書き込むけれど、4,5人を並べて見比べるには紙がまだまだ有利になる。

 もう一つの仕事はノートのページ番号。大半のノートにページ番号を入れているのでここぞとばかりガチャンガチャンやっている。ただ印刷面がゴムでは無く鉄なので硬い感じがノートには今ひとつ合わないのが残念。他にいい物が見つけられればと思いながら長く使うパターンか。印字パターンは1,1,1、1,2,3、1,1,2,2,3,3、1,1,1,2,2,2,3,3,3の4パターン。ノートの隅にページを入れるには印字する台座のような部分のサイズが影響するので一番小さいものを選んだ。印字桁数は5桁ありグループ分けをする場合も3 001などと印字できる。一人3枚ほどのレポートなら001,001,001,002,002,002のように印字している。

 写真はB5の5mm方眼に3桁表示で印字しています。ちょっとインクが切れかけているので実力はもっと高くなる。ただし8などは押方次第で読みづらくなるので多少コツも必要か。字幅と文字間のイメージになると思う。

購入時に他メーカーも調べたが、鉄では無くゴムなどは字間が広くて使えなかった。結局、鉄の中で字間と文字サイズが一番コンパクトだったのがPLUS。PLUSには他にもE型があり、これは私が使うBB型より字間が狭い。ただし、機能が高いために本体サイズが大きく価格も高い。ノートの隅にページを入れるには本体サイズ台座部分が大きく扱い難い。ノートが合えばいいかもしれない。私は仕事とプライベートの両面からコンパクトかつ価格も安いプラス ナンバーリング BB型 A字体を選びました。

 

もう一つは気分の切替に使っている日付スタンプ。

ゴム製だけど私の使い方では数年で切れることもなく、きれいに印字できている。ノートのページはこの位の綺麗さと文字サイズがいいなぁと思う。月は英語表記以外に数字もあるが季節感を感じられるので英語表記を愛用している。これは視認性とインデックスとしてもなかなかの優れものです。

そよぎ続ける風

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野山を旅すると、遠くから葉擦れの音が近づき次第にボリュームを上げ、一瞬の間に体をすり抜ける風を感じたりします。竹林や針葉樹などで感じ方は様々ですが、それぞれ面白い。草っ原で横になれば頬や伸ばした手の甲に、さらに届かないところで違う風が流れている。それぞれが沢山の物語を聞かせては思い出させます。山岳には山岳の林や森、田畑や海でも異なる風が水面や草木、雲を動かして自分はここだと告げては去る。風と暮らすのはとても楽しい。

 走り続け、ふと立ち止まった時に汗を拭ってくれる風が最初に好きになった風かもしれない。それとも開け放った道場を吹き抜けた風だろうか。穏やかな風、強くても夕立に吹く風くらいが心地いい。樹々裂いてテントを潰そうとする。屋根瓦を飛ばし、吹雪ではホワイトアウトを起こし何も見えなくする。そんな風の経験はもう充分済ませたと思いたい。 

 風の呼び名は多いけど、穏やかなものは少ないのでしょうか。薫風や青田風は稀で、多くは災害を含めた警告や注意に分類される名前のような気がします。ビル風は聞きますが都会で吹く風にも良い名前があればいい。穏やかな生活で風は意識が外れてしまっているのだろうか。生活に密着する雨をより愛してきたのかもしれません。小糠雨に濡れるのは好きだし、紅雨や白雨にはたくさんの思い出があります。傘があるのによく雨には濡れているのは昔から知る友人達と変わらない私たちの癖でした。

コロナ禍の旅

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コロナに合わせて鬱々していても仕方ないと、連休中に小さなイベントを入れました。最近張っていなかった一人用テントを引っ張り出し、一夜の旅に出たのです。娯楽はシンプルに本とウイスキーを少々。誰にも迷惑をかけずに人目を憚ることもない絶好のキャンプ地があります。日常から非日常に一枚の薄布で外界と仕切るだけで切り替えられるのがテントの良さ。カジカガエルの声も聞こえる場所で、コロナがなければやらない今日の旅は一晩限りのテント泊です。

夕方、家からキャンプ地に道具を一抱えして、すぐテントの設営。見晴らしはいいけど、キャンプスペースは狭い立地ですがシングル敷布団1枚分ほどのスペースで張れる一人用テントなのでなんとか。でも、もう少し敷地が広ければなぁ。山や外で寝るのが日常だった頃があるので、妙に懐かしいテント泊。外を眺めれば数キロ先には夜景も見え、思いの外に静かでした。初めてのキャンプ地なのでまだわからないけれど、案外いいのかも知れません。

 テントの中で最初に思ったのは、ミニテーブルを置いて2時間なら仕事ができるかも。余計なことを考えずに今はのんびりと本を読んで過ごします。そして眠くなったら眠ります。どうせ明日は眩しくて早朝には起きるのだから。寝ている間に3度ほど救急車のサイレンを聞きました。一度は「右に曲がります」と声も聞こえました。昼夜を問わない消防の偉大さを思いながら又眠ります。

 朝は、鳴く鳥の声が変化しながらやがて蝉が鳴き出して目覚めました。いい目覚めで久しぶりに夜の時間がゆったりとでも濃密に流れるのを感じました。山中とは違いますけどね。テントのジッパーを開けて外に出て、くれぐれもベランダの扉の鍵をかけてくれるなと念押しした通り、扉は無事開いて帰宅です。

コーヒーを沸かしながら外を眺めると、一夜を過ごしたテントがベランダに座っています。今日が始まるんだなぁと、いい目覚めの朝でした。