まだ見ぬ君に 61.12.08

気付きのカケラ、と健忘録

ハイキューとアオアシ

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ジャンプとスピリッツに連載の漫画。ハイキューは先日終わったけれど大団円のエンディングがいかにもハイキューらしくて嬉しかった。旭と西谷が二人で弾丸世界ツア一に行っているとかね。高校を卒業したみんながそれぞれ自分の人生を生きている。高校バレーが舞台で真っ直ぐ走り抜けた作品。

 アオアシはユースを始めて題材にしたサッカー漫画。ハイキューと同じ高校生だが私にとっての二作品の違いは女性。これはカモメのジョナサンと星の王子さまを思い出したほど二作品では女性の関わりが違う。ハイキューも女性いるが、役割は限定的で主人公と強い精神的な絆や関わりは薄い。同性の先輩と同世代を中心に各々が成長していく。それに対してアオアシは母親と、付き合っていると呼べるかは曖昧だけど彼女である花の存在が重要な場面で鍵になる。恋愛とは呼べないが強い想いがストーリーに影響していく。私は本格サッカー漫画の観点より、思春期の人間関係を軸に読んでいるので20巻は一区切りついたなぁと結構感慨深かかった。

 何かに熱中する時がある。それが高校なのかは別にして、狂気とも言えるほど夢中になる人もいる。狂気の熱量も時間も放出するエネルギーもそれぞれだけれど、周りが見えずに自分の力で何かを成そうという思いは多くの人に訪れる。危険でもあるけれど、自分と周囲の友人や大人、社会や組織を知り関わる大切な鍵にもなる。そして挫折も達成も破壊も喜びも悲しみもごちゃ混ぜになって人と関わっていく。仲間か真の友人がいて欲しい時期。親が手を差し伸べるにはもう遅く見守るしかできない季節。二つの作品にもいい友がいる。

しかし現実にはそううまくいかない事の方が多いと思う。漫画や小説の世界に入り、憧れるのもいい。でもそれが全てではないと当たり前のことを改めて思うのも大切だ。理想的に進む構成された話のように人生は進まないのだから。

 話を戻そう。
ハイキュー良さの中には、主人公たちに過度な不安や危うさを強く感じさせないことも含まれる。精神的な事も含めて大怪我はないし、あって欲しくなかった。漫画シャカリキには必要だった大事故もハイキューには不要だ。一方、アオアシには怪我や挫折が付き纏う。それが作品の厳しい空気感を生んでいる。いずれも自らが超えられる信じ、信じているからこそ絶対に手に入れようともがく。部活とユースという環境の違いがそれぞれの世界観の違いを生み出しているのも楽しめる理由なのかもしれない。

 作品から離れるが、スポーツに限らず欧米のような地域クラブという概念も選択肢としてあったなら、高校生はもっと自由なのかもしれないと無い物ねだりで思えてしまう。スポーツ以外の活動になると更に選択肢は少なくなる。部活しかないなら、他校にある自分のやりたい部活に入り活動できれば広がりができる。そこで熱い時を過ごせるかもしれないと考えてしまう。