まだ見ぬ君に 61.12.08

気付きのカケラ、と健忘録

ピカード シーズン2

f:id:sorari1701d:20200723103202j:plain

アマゾンCEOのベゾス氏が筋金入りのトレッキースタートレックピカード信奉者なのは有名な話。検索すると面白い話題に事欠かない。アレクサの代わりにコンピューターと呼び掛けられるのもその一つ。それだけでsiriから鞍替えしたくなりそう。そんなわけで余程のことがない限りシーズンは続くと勝手に信じている。でもコロナ…。撮影は進まず2021春公開予定のシーズン2はどうなるだろう。

国内で多くのドラマやアニメの公開が変更になり、漫画もアナログからデジタルに移行するきっかけにもなっている。それでもパトリックは80歳だし、楽しみと心配が交互にやってくる。今はシンプルに、みんな元気でいて欲しい。それだけだなぁ。

 

シーズン1最終回の話を少し。

超複合量子シミュレーションの中に存在するデータにピカードは「君が死んで何より悔やんだことは……言いそびれたことだ」と伝える。データは「”愛していると”と?」と尋ね、ピカードが頷く…。映画ネメシスから続く突然の別れからの後悔が救われた。長く観続けてきた私達の多くも救われたシーンだったと思う。それ以外にも一度離れてしまった友人と確かな信頼を取り戻し、言えなかった「愛している」「私も」など、喪失と再生を強く感じたシーズンだった。
伝えるべき時に伝えないと機会は永遠に失われてしまう。だから勇気を持って伝える。

 

自らの死を受け入れる。
アンドロイドとして永遠に生き続ける可能性を持ちながら、人間に憧れ、強い好奇心を持ち続けたデータ。人間になりたいと願い続けていた彼が死生観を話す。
“短くても生きたい。命には限りがあるから、運命が人の命に意味を与える。
平和や愛、それに友情が貴重なのは限りあるものだと知っているから。
永遠ではない。永遠に生きる蝶は本物の蝶とは言えない”と。
エンディングはネメシスのオープニングに帰り、「ブルースカイ」が流れる中、静かに確かに終わる。 

 

少し前に記事を探しましたが、パトリックは現在、自伝を書いているそうです。読んでみたい。が、原書では厳しい。

https://www.excite.co.jp/news/article/Dramanavi_048159/

チャレンジに関わろう

f:id:sorari1701d:20200722141602j:plain

「チャレンジしよう」と無責任には言えない。でも、チャレンジしていいと信じられる状況を作り続けるのは大切だ。「チャレンジすると、失敗を恐れない、任せる」は私には同意語に近い。だから「成功させろとも、失敗するな」とは言わないし、自らの責任を果たすことだけを考えてもらう。多くの場合、チャレンジする人が責任を取ることは出来ないから、リスクの検討と対応は、任せる人の大切な役割の一つになる。

 任される事柄に対して70%の知識と経験があれば試す対象になる。不足分はその場での気づきと勉強でカバーできる。責任感が強く失敗を避けたい、迷惑を掛けたくないと思う人、自身の未熟さを理由に断る人もいる。これらは見極めが重要で、相手の慎重さと臆病、いっ時の勇気を見間違えるとお互いが傷を負いかねない。だから予断を交えず話を聞く。任せる期待値を確認し、サポート、メンバー構成などで曖昧なものがないかなど、相手が話せるように整える。こちらから尋ねるのではない。こうして互いに力を尽くし、それでも上手くいかなかったなら、結果よりプロセスにフォーカスを当て、良い学びの機会に切り替える。

勿論、本人に合わせたサポートは必要だし (何に手を出さないと決めるのもサポートの一つ)、70%では無く80,90%必要な場合もある。考えると大変に思えてしまう。でも、人が育ち本人が楽しいと思える機会を増す中で培われる関係は、とても豊かなものだ。逆に仕事のリスクを下げるために育成機会を失えば、それは寂しい関係に繋がりはしないだろうか。

 

チャレンジする人へ

何かしらの不安が伴う。それでも様々なことにチャレンジして欲しい。始めて出会う人や始めてやる事に対して失敗を恐れてもいい。それは当然の感覚だから大切にして欲しい。そして自分を不安にさせるものの正体、漠然としている不安を知ろう。関わる人に素直に話してみるのもいい。案外みんな不安がある。何一つ失敗しないチャレンジはない。もしあれば、与える機会を間違えたか、自分で気付いていないだけだと思う。

自身が思う以上に経験や知識に頼り、他者に上手く頼る術をまだ身に付けていない事に気づくこともある。一人で出来ることなどたかが知れているのに、一人でなんとかしようと頑張ってしまう。助けられ、助けるのもチャレンジには必要だ。任せて絶対安心なんて思っている人はいない。信じられるから任せる。何かしらの不安要素を持ちながらも信じて任せている。だから互いを信じてチャレンジしよう。誰かと何かを生み出す不思議さと楽しさを味わって欲しい。

 

文鎮とペーパーウェイト

f:id:sorari1701d:20200720142321j:plain


気が付いた時には机に文鎮やペーパーウェイトと呼ばれる物が幾つかあった。

キッカケは製図や版画の下絵作りだったかなぁ。だとすれば美術の先生に紹介されたのだと思う。当時使っていたのは海図用で、鉛をセーム革で包んだとても重く安定と安心感たっぷりの物だった。形状は円形とヒヨコのような妙な形の2つ。いずれも長く使っている間に革が鉛筆の芯で汚れては洗う物だからゴワゴワになった。行方不明になってしまったのが残念。たまに思い出したように、用途に合わせて買っているので今では7つほどに増えている。

 ウェイトの用途は今も昔も一番はノートなどにペンで書く時になる。手で抑える代わりに紙ズレ防ぐために用いているのだからまぁ、本来の使い方になる。なぜか分からないけど昔から紙を手で押さて書くのが苦手だった。学生時代も学校で代用品を使っていたし、今もモバイルバッテリーに滑り止めを貼って使う位に苦手だったりする。理由は分からないけれど。

 そんな私に日常的に役立つウェイトが昨年また増えた。実はこれ、好きな会社の製品で見てくれで選んだ。でも使って見ると非常に使いやすい。位置を変える時に尾に小指を掛けて持ちやすく、また細長くそれなりの重さで汎用性も高い。因みに実測で重量258g全長115mm位。書道で見かける文鎮が200g、200mmほどだから、比較するとわかりやすいかな。Amazonでも扱っています。「高岡鉄器 クジラ書鎮 1580円(税込)也」

 余談
もし、文鎮に興味が出たらヤフオクで検索すると驚くほど様々な文鎮が見つかる。中でも時代背景を表すのが昭和初期の文鎮で軍艦の文鎮の豊富なことに驚いた。あの時代、軍艦の文鎮を使い誰が何をしたためたのだろうと想像すると切なくもなる。

 

 

キャップ構造にも、思いは詰まっているのかな

f:id:sorari1701d:20200717165957j:plain


万年筆のキャップは回し外すタイプと、一般的なペンのように引いて外す嵌合式があります。今回、面白いと感じたのは回すタイプ。手元にある10メーカーほどで確かめたところ、回す回数はそれぞれ1回〜2回ほどで大した違いはありません。個体差もありますが意図的に設計で変更している物もあり、万年筆の作り手の意識を垣間見れる気がします。

 きっかけはモンブラン2017作家シリーズのサン=テグジュペリ。ペン先には星があるものの「夜間飛行」をモチーフにした万年筆です。このペンは1回も回さずにキャップが外れます。彼の作品には、使いたい時に素早く書きたいという思いも感じていたので、ちょっと嬉しく感じました。されに、キャップ機構が優れもので、高品質のダンパーをイメージさせる気持ちよさで開閉します。キャラクターに合わせてデザインした設計ですがどこまでが作り手で、どこからは使い手の勝手な思い込みなのかと考えるのも楽しいものです。ちなみによく使う同じシリーズのバルザックは重く重厚なキャップですぐ外れては困りますが、ねじ切りが多く切ってあり安心できます。

 他メーカーはどうかと思い、同一メーカーで比べられるモンプラン、ペリカンアウロラを試しました。ペリカンはどれも一回ほど。モンブランの作家シリーズは、バルザックが約2回弱、シラー1回半など。ちなみに149(80年代前半)は一回ほどで使いやすいのですが70年代の146は半回転で外れてしまいます。インクの乾きもやや早いのでこれは個体差かな。限定品ではモンプランがデザインや重量とバランスも違い、それがペンの性格と重なって個性的な面白い万年筆になっているので好きですね。ただ価格が高いのでそうそう手が出せない。。

 最後に大好きなアウロラは限定を含め、形状の違いで4タイプ計8つを試しました。結果は一つを除き1回半。インテルだけが2回転だがマーレや88にオプティマは全て同じ。意識していないのか、精密さと考えて優秀なのかはよく分かりません。ただ一番多く持っていて、どれも同じリズムで使えるのは良さと見ています。他のメーカーも含めて1回転半が一番多いですね。

ちなみに嵌合式も好き。一番のお気に入りは軸色とインクを合わせやすいビスコンティのゴッポでペン先はEF。赤と緑のインクを入れて、キャップの開け閉めが多い添削や赤入れにはマグネット嵌合が何より便利です。

手紙を書いてみた

f:id:sorari1701d:20200716102757j:plain


筆記用具は、仕事でもプライベートでも万年筆を使っている。今は趣味に近く、本数もインク色もそれなりにあるので、多分楽しいはず。

 封書ではなく葉書なのかというと、実は最初、便箋に書こうと思った。
しかし、普段からやり取りしている友人では面白味もないよね。「どうしたの、手紙なんて?」とSNSで通知が来て説明するのも面倒。少しは驚きが欲しい。そこで、学生時代から会っていない人を対象にしようと成った訳。友人に尋ねると生死不明や、最近忙しくて連絡してないから…そんな話ばかりで先に進まない。逆に「調べて、みんなに教えてあげれば」と言われる始末。それならと手紙の束を取り出し、実家に今も誰かが住んでいそうな友人に送ってみるかと、葉書に書いた。封書だと不審者と間違われてしまうかなぁと、少し弱気なのである。

 で、書いたら、
いや、書こうとして字を間違えるのが怖くてタイプした。そうしたら紙面が狭くて用件しか書けない。葉書なのだから当たり前なのだけど、予想以上に書けない。本人は住んでないだろうから、家族の方にまず一言、歳を重ねる家族が読むので、小さい字は嫌だろう。なんて思いながら書いていたらホントに「用件のみで失礼します」という文面になってしまった。何とか少しだけ味を付けて、まずは出してみた。

手紙にハマりそう?

f:id:sorari1701d:20200715074143j:plain

先日、友人から自転車のクラッシックパーツで使わなくなつたものが無いか相談を受けて、実家の屋根裏をゴソゴソと這い回った。パーツがいくつか見つかり、「あ、ここに有ったのか」という、所在不明なものも出てきた。

その一つが小型トランクに入った手紙の束。内容以外にも、字形や文体に文字の大小、便箋に封筒や、記念の切手や消印からも、当時がリアルに伝わってくる。

こんな話、手紙でやり取りしている人には「何を当たり前…」なのだろうなぁ。でも、年賀葉書を書かず、もっぱらキーボードで無味乾燥な文字を打つ私には新鮮だった。いや、ほんと。こんなに多くの情報が伝わるかと驚いた。楽しんで、手紙を書いている人には脱帽です。私もツールそれぞれの良さを大切にしたいと改めて思いました。

ついでに言うと、国内外の絵葉書がなんと多いこと。みんな旅先でも筆まめなのねと思いきや、「手紙ありがとう!」も多く、私も結構出していたようだ。習慣的な行為なのでまるで覚えがない。こうして手紙の束を眺めてみると、一瞬にその時に戻る鍵にもなるのかと、一人感心していました。

見方変われば違う人

f:id:sorari1701d:20200714195748j:plain

・先頭に立ち、自分の不利益を顧みず、リスクを恐れないで物事を進める。

・合意形成前に自らの価値観で、想定が甘いまま仕事を進める。

上の評価は、一人を二人の評価者がそれぞれ評価した結果だ。可能性として以下のような問題が起こり得る。評価内容が強みと、裏返しの弱みになる。多面評価を行うと特徴の無い人物評価になる。結果的に、フィードバックは曖昧模糊でまとを得ない。これは価値基準の曖昧さや、部門間で異なる価値判断を行っていると生じやすく、多面評価などの手法が問題ではない。

 「リスクを恐れずと、想定が甘い」勿論、被考課者と考課者の知識の差は影響する。しかし、それ以上に、求める完璧さの程度、部署毎の文化、意思決定時の認識範囲などが関わり、評価を歪めやすい。解決には、運用者が適切に適応できる明確な基準が必要になる。実現不可能な厳格な基準を設けても、お題目でしかない。誰もが理解できるとは、自らの部下と上司に問われたときに説明できる内容が、望ましい基準になる。