まだ見ぬ君に 61.12.08

気付きのカケラ、と健忘録

チャレンジに関わろう

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「チャレンジしよう」と無責任には言えない。でも、チャレンジしていいと信じられる状況を作り続けるのは大切だ。「チャレンジすると、失敗を恐れない、任せる」は私には同意語に近い。だから「成功させろとも、失敗するな」とは言わないし、自らの責任を果たすことだけを考えてもらう。多くの場合、チャレンジする人が責任を取ることは出来ないから、リスクの検討と対応は、任せる人の大切な役割の一つになる。

 任される事柄に対して70%の知識と経験があれば試す対象になる。不足分はその場での気づきと勉強でカバーできる。責任感が強く失敗を避けたい、迷惑を掛けたくないと思う人、自身の未熟さを理由に断る人もいる。これらは見極めが重要で、相手の慎重さと臆病、いっ時の勇気を見間違えるとお互いが傷を負いかねない。だから予断を交えず話を聞く。任せる期待値を確認し、サポート、メンバー構成などで曖昧なものがないかなど、相手が話せるように整える。こちらから尋ねるのではない。こうして互いに力を尽くし、それでも上手くいかなかったなら、結果よりプロセスにフォーカスを当て、良い学びの機会に切り替える。

勿論、本人に合わせたサポートは必要だし (何に手を出さないと決めるのもサポートの一つ)、70%では無く80,90%必要な場合もある。考えると大変に思えてしまう。でも、人が育ち本人が楽しいと思える機会を増す中で培われる関係は、とても豊かなものだ。逆に仕事のリスクを下げるために育成機会を失えば、それは寂しい関係に繋がりはしないだろうか。

 

チャレンジする人へ

何かしらの不安が伴う。それでも様々なことにチャレンジして欲しい。始めて出会う人や始めてやる事に対して失敗を恐れてもいい。それは当然の感覚だから大切にして欲しい。そして自分を不安にさせるものの正体、漠然としている不安を知ろう。関わる人に素直に話してみるのもいい。案外みんな不安がある。何一つ失敗しないチャレンジはない。もしあれば、与える機会を間違えたか、自分で気付いていないだけだと思う。

自身が思う以上に経験や知識に頼り、他者に上手く頼る術をまだ身に付けていない事に気づくこともある。一人で出来ることなどたかが知れているのに、一人でなんとかしようと頑張ってしまう。助けられ、助けるのもチャレンジには必要だ。任せて絶対安心なんて思っている人はいない。信じられるから任せる。何かしらの不安要素を持ちながらも信じて任せている。だから互いを信じてチャレンジしよう。誰かと何かを生み出す不思議さと楽しさを味わって欲しい。