まだ見ぬ君に 61.12.08

気付きのカケラ、と健忘録

自分を見て欲しいと思う様には、相手を見ていない

f:id:sorari1701d:20200804084456j:plain

「今のプロジェクト、任せたら大変で」と相談に尋ねると、
“部下はなんで分かってくれないのかなぁ。
目的も方法も話して共有しているし、それぞれの役割もはっきりしているのに。
考えもやり方も教えてきたのに上手くいかない。
伝え方がまずいのか、それとも相手がやり方に不満があるのか。
そもそも任せられるだけの能力が不足していたのかとまで思ってしまう。
わからないまま、考えながら進めているうちに悪くなる一方で…”

 任せるのを間違えたかどうかの判断の前に
自分の得意が相手も同じとは限らないし、得意だとしてもアプローチは違うかもしれない。
やりたいようにやらせるのが一番いい。
ただし、任せるとはあなたが全てのリスクに責任を果たすことでもある。
その覚悟がなければ任せるよ、などとは言わない。

 相手の仕事振りを観察する。
相手の仕事の細部、周囲、全体を眺めつつ視る。
仕事にかける時間を視る。配分であり、こだわりにかける時間、合計などなど。
仕事が将来の投資になっているのかを視る。
誰かが真似ることができるのかを視る。
自分の思惑を捨てて素直に視る。
こうだろう、こうするのでは、予見は捨てて視る。
難しいけれど視るしかない。その上でどうするか、選択肢を出して部下と話す。
自分の見たいように見ている風景は、相手が見ている風景とはまるで違う。
知ることがスタートになる。

 例えばここにAさんの30分インタビュー動画があるとする。その場でAさんから2時間以内に2分に編集するように言われた。10人いれば10通りの主張ができる可能性があり、Aさんの主張にそった動画になる可能性はどうだろう。何人が始める前にAさんと話すだろうか。大半が見せ方の工夫や時間制限のために作業に入る。

 誰もが見たいように見て、思うように表現する。
目的を共有したと言っても一部分であればいい方かもしれない。相手が見ている風景を自分のものにするには相手と話す。尋ねるのではなく、まして質問するのでもなく、相手が話すのを聞く。そのためには話しやすい場の設定が最初の仕事。部下が話やすい場とはどのような場で、何時頃なのか、他にもある。それを知っているから話が聞ける。