まだ見ぬ君に 61.12.08

気付きのカケラ、と健忘録

蛍火

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コロナや豪雨災害で気持ちがささくれたままなのか、蛍火を見ない夏が来る。

多くの方々が苦労して努力して、見られるのが蛍だと思う。なかには営利目的もあるけれど、それでも大変な労力がかかる。短い寿命と過去の思い出からか蛍火はどこか淋しい。

 田舎や旅先の田んぼで、互いに反応し合う蛍火の群舞を幾度も見てきた。仕事帰りに車を数時間飛ばしては、田んぼ一面の蛍火とカジカガエル声で数時間過ごした。条件が良ければ幾度も行ったし、たまに友人と出かけもした。蛍は服に止まり、指先で光っては飛び去った。誰もいなかった夜の田圃はすでにダムの下に消えている。

 螢籠という季語、手元にあっても使う機会はもう戻らない気がする。螢籠を初めて見たのは田舎の納屋で手の込んだ細工の品だった。螢籠に沢山集めた蛍を蚊帳の中で放った風景は遠い記憶だけど古典を学んだ時に不意に蘇り、風景と重なり合った。遠い過去とつながった奇妙な感覚。

縁側で月明かりの下に田畑が見晴らせる民家が当たり前のようにあった時代、星明かりの道、明るい月明かりの音、天の河の流れ、蛍火が日常だった。

少しでも経験した人が残す事に関われるのかも知れない。だから少しだけ私も関わっている。