まだ見ぬ君に 61.12.08

気付きのカケラ、と健忘録

行きたい場所へ

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距離や時間をかけても辿り着けないのに
それでも遠く離れるほど、近づける気がしてしまう
ここではないどこかへと、思う希望が夢に変わる
潮の香り、森の静けさ、闇夜の騒がしさに委ねれば
忘れるはずもない

 大切な何かを忘れたままで、何処に向かう
誰かの大切な想いを抱えて、寄り道ばかりを繰り返す
後回しにする都度に、誰かの何かが夢に変わる
幾つ目のカーブ、立ち寄る街、新月の峠を超えても
後回しの自分がついて来る

買物キャリーを引いた老婆が歩く
閉まったシャッター前にオヤジたちは座り込む
釣り竿を持った子供が走り去る
今はいつで、ここはどこで、見知った者は……
高い空から舞い下りる位置はどこだろう

夏休みと言えばペルセウス

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今年もペルセウス座流星群の季節が近づいてきた。

多少夜露に濡れるのさえ厭わなければ、シートの上で寝転び、眺めながら寝てしまえるペルセウスは気楽な流星群だ。場所さえ選べば、好条件でなくても1時間に数十は見えるから誰かを誘った時のハズレ感が少ない。まぁ、雲が出るとか他にも問題はあり得るが。これが12月中旬の双子座流星群とかになると防寒対策から大変だし、誘っても物好き以外はまず来ない。

 今年のペルセウスは8/12の22時頃が極大予想。月は下弦の月齢22.4。23:18に月の出となり、簡単に言えば23時には半月に近い月が昇ってくる。その後はずっと月明かりなので条件は今ひとつではある。暗い流星は見えないだろうが、それでも最悪ではないし、天気が良ければどこかに行って、ぼーっと眺めていようかなぁと思う。誰か誘うにはコロナが…
まぁ帰郷する人が少なければ高速も空いているだろうし、見晴らしの良い場所に行って眺めて帰ってくるというシンプルな行動はありかも知れない。

例年なら、天文台で観測会をやるが今年は残念ながら。幾度か行ったぐんま天文台を調べてみると、普段の夜間は予約制で夏はすでに一杯だがやっていた。どこかでこうして頑張っているのは心強い。でも、ペルセウス座流星群観測会は中止です。どうしても混み合ってしまうからこれは仕方ない。天文台だとトイレもあるし、多くは望遠鏡も使った観測会も合わせて行うので、初めての人も親しみやすいんですよね。残念ですがどこかにいいこともあるはずと思って夏を過ごしたいですね。

 

挫折しそうな文庫の文字

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読み直したい古い文庫を書棚から一冊取り出し、開いたら、読めませんでした。

文庫自体は50冊ほど。引越しの都度に譲り、売り、捨てるのであまり増えません。残る本は絶版になりそうな本ばかりで既に半数が絶版かなぁ。時代背景と合わなくなると消えていきますね。手元にあって読みたい時に手に取れるはずの安心のはずが、「有ると使えるは違うのよ」と否定された気分でがっかり。

 古い文庫は今の基準に照らせば、文字がやや汚く、小さく、詰まった行間でしょうか。全てではありませんがそんな印象です。物理的な読み難さは何度か読んだ小説でも辛く、更に少し難解というか太平洋戦争前後に訳された文章では表現の古さと合わせて名詞や概念も古いので字が小さいと無駄に疲れてしまいます。新訳は書かれた時代背景から遠いからか訳が今ひとつの場合もあったりで難しいですね。でも、一番の問題は紙が色付き、粗めの文字と相まったコントラストの低さです。普段書いているMacの文字サイズは文庫よりも更に小さ意ですから。

 文庫は読み始めたものの10ページほどで諦めました。図書館にハードカバーは無く、電子書籍の新訳がまぁまぁ良さそうなので購入しました。全集物とか好きなコミックはkindleに切替えているのも理由かもしれません。論文などはずいぶん前からiPadで文字サイズを変えた方が頭に入り易いのでそうしているし。

 勿論、ハードカバーなど紙の良さの魅力は十分承知しつつ、文庫に話を戻すと紙とはいえ、そろそろやめようかなぁと思い始めています。でも、文庫でしか読めない本も多いんですよね。目の前にある文庫を前にどうしたものかと考えあぐねています。

絶望と喪失

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絶望と絶望的ではニュアンスがかなり違う。「的」の一字に灯る希望が0ではないと支えてくれる。対する喪失は希望なく、ただただ受入よと迫るばかり。今までの当たり前がどれほど手を伸ばそうと、思おうとそこに存在しない。恐怖より先の戸惑い。
昨日両方を味わったと言ったら、ほとんどの人は大袈裟だと思うだろうなぁ。

 気にあり度1、2番目の万年筆2本とシャープペンシルの計3本をペンケースごと失くした。気づいたのはコーヒーショップを出て数時間後で、電話をかけたが無い。歩いた道にも無かった。数度往復しても見つからない。

失くした万年筆はいずれも思い入れたっぷりでペン先の相性も群を抜く。シャープペンシルは多くの仕事を一緒にしてきたペン。どれも今は作られておらず中古市場でも見かけない。仮に探し続けたところで、軸模様の同じ物は存在しない。それに私が時を同じく過ごしたペンではない。価格は関係なく一緒にいた”時間”の中の想いの問題になる。
何も考えられず残るのは喪失感だけで、人以外に初めて喪失感を知ったと思うほどだった。大切な道具は多数あるけれど、同様の感情を抱いた物は他に浮かばない。強いて言えば長く使う時計がそうかもしれないが、ペンほどではない。

 辛さの多くは自身の不注意だから、感情の持って行き場がない。物に気持ちを宿しているのは投影かもしれないが、ペン一本に救われたという思いはある。それが忽然と手元から消えて、二度と触れも見ることもできない。どう考えてもそれは嘘だとしか思えない。無くなるなんてあり得ないでしょうと。無い生活自体が想像できない。失うことを予見している場合はなんとか対応できる。覚悟していく時間の中での内省が救いにもなり得る。しかし、なんの覚悟も無しに失うとおろおろするばかりだ。たかが物だと思い込もうとしても上手くいかなかった。

 一日過ぎても落とした可能性の店からは連絡はなく、喪失感との折り合いも付きはしない。それでも店にまた電話を掛けてしまった。これで2度目だからいい迷惑だなぁと思いながら、次は警察かぁと考えつつ、あるはずもないのに「ありませんかと」尋ねる間抜けさ。

あった。よく分からないがペン3本にペンケースがあった。
手元に戻った。
今、思い掛けず手元にあるが実感はまるでない。なんであるの、これは本物?

自分を見て欲しいと思う様には、相手を見ていない

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「今のプロジェクト、任せたら大変で」と相談に尋ねると、
“部下はなんで分かってくれないのかなぁ。
目的も方法も話して共有しているし、それぞれの役割もはっきりしているのに。
考えもやり方も教えてきたのに上手くいかない。
伝え方がまずいのか、それとも相手がやり方に不満があるのか。
そもそも任せられるだけの能力が不足していたのかとまで思ってしまう。
わからないまま、考えながら進めているうちに悪くなる一方で…”

 任せるのを間違えたかどうかの判断の前に
自分の得意が相手も同じとは限らないし、得意だとしてもアプローチは違うかもしれない。
やりたいようにやらせるのが一番いい。
ただし、任せるとはあなたが全てのリスクに責任を果たすことでもある。
その覚悟がなければ任せるよ、などとは言わない。

 相手の仕事振りを観察する。
相手の仕事の細部、周囲、全体を眺めつつ視る。
仕事にかける時間を視る。配分であり、こだわりにかける時間、合計などなど。
仕事が将来の投資になっているのかを視る。
誰かが真似ることができるのかを視る。
自分の思惑を捨てて素直に視る。
こうだろう、こうするのでは、予見は捨てて視る。
難しいけれど視るしかない。その上でどうするか、選択肢を出して部下と話す。
自分の見たいように見ている風景は、相手が見ている風景とはまるで違う。
知ることがスタートになる。

 例えばここにAさんの30分インタビュー動画があるとする。その場でAさんから2時間以内に2分に編集するように言われた。10人いれば10通りの主張ができる可能性があり、Aさんの主張にそった動画になる可能性はどうだろう。何人が始める前にAさんと話すだろうか。大半が見せ方の工夫や時間制限のために作業に入る。

 誰もが見たいように見て、思うように表現する。
目的を共有したと言っても一部分であればいい方かもしれない。相手が見ている風景を自分のものにするには相手と話す。尋ねるのではなく、まして質問するのでもなく、相手が話すのを聞く。そのためには話しやすい場の設定が最初の仕事。部下が話やすい場とはどのような場で、何時頃なのか、他にもある。それを知っているから話が聞ける。

シャープペンシルで使う芯の太さは

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芯の太さを、用途や気分で使い分けるのも楽しいもの。
一番使うメモや落書き、ラフスケッチは描きやすく消しやすい0.7mmです。2.0mmはB4とB6の柔らかい芯を入れてほぼスケッチ用。そして0.3mmは5mm方眼に文字を書いてまとめる時に使います。いずれも同じ軸を使っているので鉛筆を変えるように同じバランスで太さを変えて使います。

2.0mm以外はほぼ2Bの芯を使うのは筆圧が弱いから。ちなみに私は0.3mmHBだとほぼ色が出なく視認できない筆圧です。筆圧により0.3mmで2Bを使うと、折れやすく減りが早いなど扱い辛くなるかな。

書き味の滑らかさは同じ0.5mmでも芯メーカーによってかなり違い、0.3mmになるとよりはっきり感じられます。細いのは苦手!という人は芯を変えてみると印象が変わるかも知れません。と気がついたことをつらつらと書いてみました。

 使う軸は長く決まっていて、写真上からいずれもステッドラーの製図用です。上の青軸1本を除き、オールブラックの5本目までが太さも色も違う925シリーズ。同じ軸で2.0, 0,7, 0.5, 0.3の順になり、他に0.9があり5種が揃う。0.5は限定カラーが出る人気商品です。

ステッドラーの良さは芯先のパーツなどを含め、パーツ供給がしっかりしていてwebサイトで価格など明快に伝えている点。国内メーカーと一括りにするのは申し訳ないのですが、3社ほど調べると供給しているもののwebサイトの表現が曖昧で対応する品番が分かり難い、ページにたどり着くのが大変など、もうひと頑張りという印象を受けました。連絡して価格が分かるとか郵便切手でもOKなどが分かるのは勿体ないなぁと。メーカーにも伝えましたが難しいのかな。店頭の店員さんの補修パーツ等の知識も減っているようなのでwebでも頑張ってと思いました。

 ちなみに一般的な0.5mmは出先以外では余り使いません。これには訳が有って、普段使いの筆記用具が万年筆だとペンを寝かせがち、そこに軟らかい芯を入れるとしょっちゅう軸を回さないと字幅が太くなります。でも持ち歩くのは1本にしたいので出先では汎用性から写真にはないのですが、以下の0.5mmを持ち歩いています。

 選択条件は
ダブルノックで芯先を収納できる。芯先のブレが少ない。テールの消しゴムが30mm近く伸びる。芯先が曲がるのを嫌うのと、消しゴムが長くてよく消えると非常用ではなくなり、実用性が上がりますね。

Faber-Castell TK-FINE エクゼクティブシャープペンシル
・rotring シャープペンシル ラピッド

 

他のペンは来週に。

蛍火

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コロナや豪雨災害で気持ちがささくれたままなのか、蛍火を見ない夏が来る。

多くの方々が苦労して努力して、見られるのが蛍だと思う。なかには営利目的もあるけれど、それでも大変な労力がかかる。短い寿命と過去の思い出からか蛍火はどこか淋しい。

 田舎や旅先の田んぼで、互いに反応し合う蛍火の群舞を幾度も見てきた。仕事帰りに車を数時間飛ばしては、田んぼ一面の蛍火とカジカガエル声で数時間過ごした。条件が良ければ幾度も行ったし、たまに友人と出かけもした。蛍は服に止まり、指先で光っては飛び去った。誰もいなかった夜の田圃はすでにダムの下に消えている。

 螢籠という季語、手元にあっても使う機会はもう戻らない気がする。螢籠を初めて見たのは田舎の納屋で手の込んだ細工の品だった。螢籠に沢山集めた蛍を蚊帳の中で放った風景は遠い記憶だけど古典を学んだ時に不意に蘇り、風景と重なり合った。遠い過去とつながった奇妙な感覚。

縁側で月明かりの下に田畑が見晴らせる民家が当たり前のようにあった時代、星明かりの道、明るい月明かりの音、天の河の流れ、蛍火が日常だった。

少しでも経験した人が残す事に関われるのかも知れない。だから少しだけ私も関わっている。